「抱いてよ――壊れちゃいそうなの。なんでもするから、お願い。」 順子
あれから、何年が経ったのだろう。
順子のあの言葉を思い返すたび、僕は思う。
あれは、彼女だけの願いではなかった。
きっと、僕自身の願いでもあったのだ。
第一章 入社式
四月一日。
桜が満開を迎えた朝、私は株式会社ABCの本社ホールに座っていた。
新品のスーツに身を包み、胸には真新しい社員証。期待と不安が入り混じる中、周囲を見渡すと、同じように緊張した表情の新入社員たちが並んでいる。
やがて壇上に社長が姿を現し、会場は静まり返った。
「皆さんは、これからこの会社でさまざまなことを経験し、学ぶことになります。
これまでとは異なる価値観を持つ人々と出会い、自らの価値観も変化していくことでしょう。
会社とは、利益だけを追い求める場所ではありません。利益を生み、税金を納め、従業員の生活を守り、時には新しい価値を創造することで社会を支える存在です。
皆さん一人ひとりが、社会を支える重要な一員へと成長されることを期待しています。
株式会社ABCへ、ようこそ。」
会場は大きな拍手に包まれた。
私はその言葉を疑いもしなかった。
努力すれば認められる。誠実に働けば信頼される。
そう信じていた・/
第二章 同期
トン、トン。
ドアをノックする音。ここは、会社の寮。今日からここでの生活が始まる。必要最小限の生活道具は自分の車で運んでいた。冷蔵庫、TV, コンポ。冷暖房設備は備え付けであった。僕は入社式の後でこれも備え付けのベッドでまだ6時なのにうとうとしていた。僕は大学時代、大学になじめず、一人で過ごすことが多かったので、すごく疲れていたのだ。ドアを開ける。開けるとそこには同期の加藤がいた。仙台出身で、自己紹介のビデオ収録時、東北人にはヨーロッパ系の血が入っているから彫が深い顔が多いんだと語っていた。確かに彼はしっかりした顔つきをしている。そんな風に僕は彼を記憶していた。社交性もあり、いかにも出世しそうな人物である。
「俺、同期のK. これから、渡辺 と食事に出るんだけど、一緒しないか。車持ってるだろ。載せていってくれないか?』これが、最初の言葉だった。断る理由もないので、了承して町に出ることにした。部屋をでて、寮の外の駐車場にでると、そこに渡辺がいた。九州出身の浅黒い、控えめに言ってもかなりの二枚目である。「近くに、藍屋があるからそこでもいい?』僕はそういった。「藍屋って、ビール飲めるよな?飲めるなら僕はOK 。渡辺は?』「俺もそこでかまわない』と、渡辺。
藍屋は時間が早かったのか、空いていて待たずに席に案内された。加藤はビールをまず頼み、それぞれが即決で注文をした。2人共、何を食べるかなど迷わないタイプらしい。加藤 がまずこんなことを口にした。「俺たちって会社ではある意味特別な意味を持った同期らしいよ。先輩から聞いたんだけど会社を変えるため上層部が特別に選んだ同期らしい。今までABCってレベル関係なしに新卒選んでただろ。それではやはりだめだということになって。俺たちは6大学レベルを中心に採用を決めた初めてのケースらしい。』『僕は出世はどうでもよいということはないけど、それより、ABCってやっぱり日本車しか乗れないのかな。独立系自動車関連メーカだけど、社員駐車場にはどのメーカーの車も止まってるから自由なのはわかるけど国産車ばかりだよな?おれ、外車にも興味あるんだけど。』「車ね!俺、BMWころがせるくらいにはなりたいんだよね。将来。』と加藤.「俺はやっぱりZ 転がしてるようになりたい。同期の伊藤、Z 乗ってるよね。排ガス規制後のダサい奴だけど。』と渡辺が続ける。「いうなよ、伊藤、 怒るぜ。』 二人はそんな話で盛り上がっていた。僕は正直、この会社には拾ってもらって入社した口なので、そこまで将来のことや、会社の状況などを考える状況になかった。ほかに同期は7名。寮に入っているのは5名。ほかの5名はどうしているんだろうと考えたりしていた。、食事を終え二人を寮に送ったあと、僕は途中で見つけたCDショップによった。
CDショップで一枚のCDが目に留まった。
スザンヌ・ヴェガ。
『Luka』
なぜか、その曲だけは迷わずレジへ持っていった。この曲を、僕はこれから何度も聴くことになる。
順子と出会う、その前から。
第三章
研修
ABC社の一日は7時45分からの全社員そろってのラジオ体操から始まる。私たち新入社員たちは、14名全員最前列に並ばされていた。ラジオ体操後、人事部からの紹介というものが行われる手筈になっていたからである。一人ひとりが緊張した面もちで並ぶ中、日高と松沼が話しかけてきた。今日からの研修で同じ班で回る3人である。3人とも自宅通勤組なので、直接話すのはその時が初めてであった。日高も松沼も車が好きで、日高はカリーナED にFujitubo のマフラーをいれている。松沼はスカイラインに乗っていて、大学時代はラリーに参加していた。「俺、今日からの研修ペアで回る松沼. よろしくな。』「俺は日高.高橋と一緒にお前たちの後追いで、第一工場から研修を回る班だよ。よろしく。』「よろしく』
「二人とも車すきなんだね。日高 のカリーナ新車?スポーツマフラー入れてるよね、やっぱ音がいいよね。』「カリーナEDにfujituboのマフラーってバカにするやつもいるけど、俺、カリーナED好きなんだよね。』と、日高。「おれ、スカイラインに乗ってる。モータースポーツに興味あって、この会社、自動車部ないのかな?ラリーとか興味あるんだけど。』と松沼。.研修は3班に分かれて大一班は第一工場から、第二班は第二工場から、第三班は第三工場から回ることになっていた。ラジオ体操が終わった後の自己紹介後、第一班の僕たち4人は人事部の待合室で、担当員が迎えに来る前にそんな話をしていた。そして話はやがて、新入社員としての一番の関心事項、自分たちの配属先の話へと進んでいった。「この研修の評価って俺たちの配属先に影響するのかな。』「人事部では研修方法でかなりもめたらしいって噂聞いてる?社長の研修案は、大卒は現場に配属されるわけじゃないから現場を調査して、社長の前でプレゼンを実施させ、適性を判断して配属を決定する。今までと違うやり方にしたいと人事部に直接ねじ込んできたらしい。それを聞いた会長が会社はまず現場だ。現場実習は絶対に欠かせないともめたらしいぜ。』と日高.ABC社は東証一部上場会社ではあるが、会長がある製品の特許を取り、一代で会社を一部上場にまで築き上げた会社である。一方、社長は会長の一人息子で東大、MIT工科大学、ダウ・ケミカルという経歴を持つ秀才で理論派であった。「でも、僕たちの研修最終日、予定表では社長の前でのプレゼンだろ。社長が会長を押し切ったって事?』「社長は会長自慢の息子で、学生時代は空手部で学生チャンピオンになったこともある人らしい。会長も自慢の息子に任せてみようと思ったんだろ。』と松沼.「みんなこの会社のことに詳しいんだね。僕なんか何も情報もってないよ。どこからそんな情報を手に入れるの?』「俺は大学の先輩たちから。』「俺も』「起立!』「おはようございます」「おはよう。皆さんにここ第一工場のB工場長を紹介しましょう。』そこにはいかにも現場を知り尽くした感じの40代半ばの工場長が立っていた。
第3章 研修
研修は工場長の挨拶、そして最初の研修場所となる第一製造部の説明からはじまった。第一製造部は主に自動車のブレーキ部品に使用されるゴムパッキンを主要に製造する部であった。工場長の説明が続く。「皆さんはこれから一週間このラジエターパッキンラインで研修を行っていただくわけですが、研修に当たり、まず研修ラインについて一通り説明をしておきます。お配りした資料を見てわかる通り、皆さんの研修場として今回見ていただくライン、D社向けのラジエタパッキン生産ラインは、第一製造部では最も大きな売り上げ額を上げている課、ラインの一つとなります。問題点としてはなんといっても工程内不良、得意先不良ともに不良率がとても高いところにあります。皆さんには是非この点を踏まえたうえで、ラインに対して自由な考察を行って頂きたいと思います。毎日ラインに接している我々では気づけないポイントに関する考察、意見を期待しています。それではラインへこれから移動します。現場では班長と共に行動をしていただきますが、班長の指示に従い安全第一でお願いします。』
「いよいよ現場だ』私もほかの3人も無言のまま工場長につれられ現場へとむかった。
「右よし、左よし、足元よし。安全よし』指差呼称のあとゲートをくぐり製造現場に入る。
熱い、4月だというのに工場の中は蒸し風呂のようであった。小柄な30代の男が入口にいた。
「班長の佐々木です。皆さんの研修の世話係をさせていただきます。皆さんには実際に作業を行っていただくわけではありませんが、工場内には危険物も多いです。安全面についての私の指示には絶対服従でお願いします。初日の午前中は、ラインを一通り私と一緒に回っていただいて、質問、感想などを伺うという形にします。よろしくお願いします。』
「よろしくお願いします!』
僕たちは班長につれられ工場の中進んでいった。
工場内は思っていたほど、環境的には厳しくなかった。硫黄の匂いが充満した厳しい環境なのではないかという先入観年は当たっていなかった。ただ、4月だというのに、暑い。工場内の気温は40℃近くになっていた。「暑いでしょう。ゴムは加硫しなければならないので、電熱プレスの発する熱で、どうしても暑くなるんです。でもね、今は作業員の動線にはスポットクーラーが設置されているので、ずいぶん楽になりました。それでも、夏場には工場内の気温は60℃近くになることもあります。ここで一つ皆さんに質問です。なぜ、ここにある、シックスネスゲージなどの測定器はデジタルではないのでしょうか?』
僕たち研修員はそれぞれが顔を見合わせあったが、みな、答えを見つけられないようであった。「液晶って、32℃を超えると真っ白になってしまって、数字が読めなくなるんですよ。置き場をきちんと決めて管理を徹底すれば数字が読めなくなることもないのでが、今はそれができていません、そこが、改善ポイントの一つですね。』「それでは、これから、工程全体を一通り説明します。そのあとはそれぞれ自由に工程を見て回り、疑問に思ったこと、他、ほしい資料等がありましたら日々の最後に時間を作りますので申し出てください。それでは最初の工程材料の成型工程に向かいます。』
第4章
研修初日、終業のサイレンの音と共に僕たち研修初日は終わった。
「ゴム臭くなっていないか?俺たち?これから彼女と会うんだよ、俺』と日高。
「モテル男人は違うな! やるなあ~』「冷やかすなよ』「それより研修どう感じた?』そして、話題は研修感想へと移っていった。
「ラジエターって四角い断面形状のものを研磨して丸い断面形状に加工するんだな。ある会社の特許と生産ラインを両方とも買い取ることで始まったものらしいよ。ラジエターの不良率の主要なものはこの研磨工程が発生要因の工程内不良で、丸くならない部分(研磨残り)、と、製品の全長、径寸法がワーストらしい。不良率を聞いたけど、現場で、研磨中に切れたり、捨ててるものはカウントされていないみたいだから。本当の工程内不良率はかなり聴いた数字よりたかいよ。20%を超えることはないとは思うけどさ。』と、日高。
「現場の手伝いをしてたけど、作業をやりながらそんなことをきいていたのか?やるなあ。』と松沼。
「何言ってるんだ。お前たち、どちらも手が早いと、評判よかったぞ。』と高橋。
私はただ単純に工程順に調査しようとの思いで、その日は工程の最初の部分、押し出し成型ゴム工程、プレス工程を調査していただけだったので、正直、ライン全体をみて、問題の核となりそうな部分に自ら入り込み調査を行ったという同期達の行動力に気おされていた。
「お前は成型工程とプレス工程を調べていたよな。何か問題は?』と、高橋。
「成型工程の材料のばらつきが大きかったかな。プレスとつなげると、そんな気がした。実際の製品の重量のばらつきからかんがえて、ゴムの成型重量のばらつきはもっと少なくすべきかなとおもった。そして、プレスでは偏肉といって、いろいろな原因があるらしいけど、プレスの手前と、奥側のラジエターの肉厚が違ってしまうらしい。プレスラインで肉厚を一回一回プレス作業をしながら測っていたよ。』
「俺は材料の管理に着目してみたよ。ラジエターの材料はEPDM で劣化に強いんだそうだ。でも、加硫に使う薬品がパーオキサイドと言って、揮発性のっ物で、有効に使える期間が短く、また、管理保管場所も、低温にしておくことが必要なため、低温室保管をしているようだね。練りの工程を早くみたいな!』と高橋。
「おっと、遅れる。帰らないと』と日高。「頑張りすぎて、明日、寝坊するなよ!』と松沼。
「バカ言ってんじゃねえよ!ジャーな』スポーツマフラーの心地よい音と共に、日高はかえっていった。「みんな、明日もよろしく。また。』と高橋と松沼。僕は会社の敷地内にある寮へ一人向かった。
駐車場の空は夕暮れ。
明日もいい天気に張れるだろう。
社会人としての一日目は、そんなふうに終わった。
特別なことなど、何もなかった。あの頃の僕は、本当にそう思っていた。
第五章 研修発表会
時々、例えば眠りから覚めた朝、自分が過ごしてきた時間を思い出すことがある。
息子が生まれたときのこと。息子が初めて自転車に乗ったときのこと。食事時になると、二階の自分の部屋から駆け下りてきた彼の足音。そして、それを迎える妻の温かい笑顔。
それは、もう戻ることのない時間の記憶だ。今はもうない。それでも、その記憶は今も温かいものを運んできてくれる。
あの頃の僕は若く、まだ、こんな気持ちは知らなかった。
「これから、今年度の新入社員による研修発表会を開催します。
今年度の新入社員研修については、皆さまもすでにご存じのことと思いますが、改めて説明させていただきます。
今年度は社長の発案により、従来の実習形式だけではなく、新入社員自らが現場の問題点を見つけ、その改善案を考え、プレゼンテーションを行うという形式を取り入れました。
その目的は、研修を通じて彼らの適性を見極め、その内容を今後の配属先を決定する際の一つの参考とすることにあります。
研修は関東事業部の第一、第二、第三製造部で実施しました。
本日は、新入社員各自が研修を通じて感じた問題点、そして自ら考えた改善案について、職制各位の前で発表いたします。各発表終了後には質疑応答の時間を設けておりますので、皆さまからも活発なご質問、ご意見をお願いいたします。
それでは、研修発表会を始めます」
最初の発表は、僕たち第一班からだった。
「第一発表者、日高君。テーマは『研磨条件と研磨機の改善』です」
トップバッターは日高である。
日高は壇上に立つと、僕たちの方をちらりと見た。そして前を向き、話し始めた。
「私が着目したのは、ラジエターパッキンの研磨工程です。
現在、この工程では、成型された製品を研磨機に投入し、所定の外径および表面状態に仕上げています。
私はこの工程について、品質を維持したまま研磨時間を短縮できないかと考えました。
特に着目したのが、研磨軸の波型形状の見直しです。製品の研磨効率は四角い製品の回転回数と研磨との関係にありますが、製品の回転するを高める事によって、研磨時間を短縮できるのではないかと考えました。
また、現在使用している研磨石についても、材質、粒度、研磨条件などを見直すことで、必要な表面状態を確保しながら、現在より短い時間で加工できる可能性があると考えます。
一回当たりの研磨時間を短縮できれば、単位時間当たりの加工数、つまり取り数を増加させることができます。
ただし、単純に研磨時間を短くすればよいというわけではありません。
研磨後の表面粗さ、外径寸法、研磨残りなどを確認し、品質を維持できる条件を実験によって求める必要があります。
そこで私は、研磨石と研磨条件を何段階かに分けて試験し、品質と加工時間の両面から最適な条件を決定することを提案します。
それでは、具体的な改善案について、図とデータを使って説明させていただきます」
日高らしい発表だった。
設備そのものに着目し、品質を維持しながら、いかに生産性を高めるかを考えている。
第一工場での研修初日からラインの中心に入り込み、不良について作業者から聞き出していた彼らしい着眼点だと、僕は思った。
続いて、松沼の名前が呼ばれた。
「私は研磨工程を、設備そのものではなく、作業者の動きという視点から調査しました。
実際に作業者の動きを追ってみると、製品の投入、取り出し、確認、運搬のために、何度も設備の間を移動していることが分かりました。
そこで、研磨機および関連設備の配置を見直し、作業者の移動距離を短くすることを提案します。
一回一回の移動にかかる時間はわずかでも、それを一日に何百回と繰り返せば、大きな時間になります。
もう一点、私が着目したのはカット工程における刃の管理です。
現在は、刃の切れ味が悪くなったことを作業者が判断し、交換しています。
しかし、この方法では交換時期が作業者の経験や感覚に左右されます。また、切れ味が低下してから交換するため、交換直前にはカット不良が発生する可能性があります。
そこで、刃の使用回数、あるいは使用時間を記録し、一定の基準に達した段階で交換する定点管理を提案します。
『切れなくなったから交換する』のではなく、『切れなくなる前に交換する』という考え方です。
これによって、カット不良の低減と品質の安定化が可能になると考えます。
それでは、私が考えた研磨工程室のレイアウト変更案と、それによって期待できる効果について説明させていただきます」
二番手の松沼は、やはり彼らしく、「人が作業する」という視点から工程を見ていた。
設備そのものを改善しようとした日高とは違う。
同じ研磨工程を見ていながら、二人が見ていたものはまったく違っていた。
そして、三番目の発表者は高橋だった。
「私は、原材料の管理方法について発表します。
今回の研修で材料保管場所を確認したところ、EPDMをはじめ、複数の原材料、副資材、薬品類が管理されていました。
ここで私が問題と考えたのは、異材使用と異物混入の可能性です。
現在も材料名やロットなどは管理されていますが、人が確認する以上、取り違えを完全になくすことは難しいと考えます。
そこで、原材料にバーコードを付け、入庫、保管、出庫、使用の各段階で読み取る管理方法を提案します。
例えば、製造指示で指定された材料と、実際に払い出そうとしている材料のバーコードが一致しなければ、その場で警告を出す仕組みにします。
また、いつ、どのロットの材料が、どの製造ロットに使用されたのかを記録しておけば、問題が発生した場合の追跡も容易になります。
作業者に『間違えないよう注意してください』と要求するだけではなく、間違いそのものが起こりにくい仕組みにする。
それが材料管理では重要なのではないかと考えました。
それでは、具体的にどのような形で導入するのか、私の案を説明させていただきます。
バーコードの読み取りには、K社製のハンディバーコードリーダーを使用することを考えました。この機器を利用して――」
高橋らしい発表だった。
人の注意力に頼るのではなく、管理の仕組みそのものを変えることで問題を防ごうとしている。
日高は設備を見た。
松沼は人の動きを見た。
そして高橋は、管理の仕組みを見ていた。
同じ工場で、同じラインを研修したはずなのに、三人が見つけた問題も、そこから導き出した答えも、それぞれ違っていた。
そして、いよいよ僕の番が来た。
名前を呼ばれ、席を立つ。
壇上へ向かいながら、僕はもう一度、自分の発表内容を頭の中で確認した。
僕が見てきたものは、三人とは少し違っていた。
「私は、特定の一工程ではなく、成型から研磨までの工程全体について発表します。
最初に着目したのは、押し出し成型工程における材料重量のばらつきです。
測定結果を見ると、成型された材料の重量には一定のばらつきがありました。
このばらつきを小さくすることで、後工程の品質も安定するのではないかと考えました。
次にプレス工程です。
ここでは、製品の手前側と奥側で肉厚が異なる、いわゆる偏肉が問題となっています。
これについては、金型の位置決め精度を高めるためのインローの見直しや、シム調整方法の標準化などによって、偏肉そのものを減少させることが必要だと考えます。
しかし、今回の研修を通して、一つ疑問が残りました。
成型重量のばらつきを減らし、プレス工程を改善したとしても、偏肉を完全にゼロにすることは難しいのではないでしょうか。
だとすれば、前工程で不良要因をなくすことだけを考えるのではなく、多少の偏肉が発生した製品であっても、研磨工程でそれを補正し、最終的に規格を満足する製品にすることはできないでしょうか。
現在の研磨機の構造でそれが可能なのか、今回の研修期間では結論を出すことができませんでした。
ただ私は、一つ一つの工程の不良率だけを見るのではなく、材料成型、プレス、研磨までを一つの流れとして捉え、最終的な良品率、つまり工程全体の歩留まりを向上させることが重要だと考えます」
僕はそこで一度言葉を切り、会場を見渡した。
「それでは、各工程で私が確認した問題点と、その改善案について説明させていただきます」
研修発表会は、僕たち第一班に続き、加藤、渡辺たちの第二班、そして第三班へと進み、無事に終了した。
発表内容は、生産性の向上や不良率の低減など、製造現場の改善に関するものが多かった。その中で異彩を放っていたのが、大学院卒の高田だった。
高田は、品質管理のためのシステムをVBAで自作し、その場でデモンストレーションを行った。当時としては珍しい試みだったこともあり、会場の関心を集めていた。
こうして、僕たちのお披露目会はおわった。次、待ち受けるのはいよいよ僕たち自身の配属先の決定である。
第6章 配属
研修発表会が終わって、一週間がたった。
今日は、僕たち新卒社員の配属先が決まる日だった。
僕たちは朝から総務部の会議室に集められていた。研修中、何度も使った会議室だったが、今日はいつもとは少し空気が違っていた。
これから自分がどこで働くことになるのか。
希望した部署に行ける者もいれば、そうでない者もいるだろう。僕も自分の名前が呼ばれるのを、落ち着かない気持ちで待っていた。
やがて人事部長が前に立ち、手元の書類に目を落とした。
配属先の発表が始まった。
「萩原正人。前へ。配属、加工研究所設計部」
萩原が立ち上がり、前へ出た。
「石田健司。生産技術部」
続いて石田が呼ばれた。
「加藤信二。生産技術部」
寮で一緒の加藤も、生産技術部だった。
彼の希望は設計だったはずだ。
加藤は何も言わず、自分の席へ戻ってきた。
その表情からは、喜んでいるのか、それとも落胆しているのか、僕には分からなかった。
発表はそのまま続いた。
研修を一緒に回った仲間たちの名前が、次々と呼ばれていく。
渡辺は生産技術部。
日高正人は、第一製造部付き製造技術部。
松沼隼人は、生産技術部。
そして――
「珠樹 新次郎」
僕の名前が呼ばれた。
「はい」
立ち上がって前へ出る。
人事部長は書類を見たまま、淡々と告げた。
「第一製造部付き製造技術部」
第一製造部――。
研修で一度、足を踏み入れた場所だった。そして、研修発表会で僕たちがテーマとして取り上げた部署でもある。
これから、この会社での僕の本当の会社員生活が始まる。
そして僕は、この会社で働きながら、いろいろなことを知っていくことになる。
会社のこと。
社会のこと。
そして、僕自身のこと。
もちろん、この日の僕には、そんなことはまだ分からない。
新しい職場でどんな仕事をするのか。
どんな人たちと出会うのか。
そこで自分は何ができるのか。
そんなことを考えながら、僕はこれから始まる毎日に胸を膨らませていた。
この日の僕は、まだ希望だけでいっぱいだった。
第7章